社長さんの山日記


 2015年9月記載  昔、三人の高校生仲間と八方尾根から眺めた山岳展望がきっかけだったのだろうか。

高校卒業して入社した会社で山好き先輩に出会い、山に目覚める。社会人山岳会を5年ほど経験して帰郷する。

48歳で子供が大きくなり、山に情熱を向けだす。当時は仕事人間でもあり、時間との葛藤はすごかった、全国に廻りだしたのも当然の経緯に過ぎない。50歳頃から山スキーに興味を持つが「今一、山スキーの世界が理解できない」。その二年後単独で4月、守門岳にゲレンデスキーとスキー靴を背負いカンジキ走行してスキー滑走して下山してるとテレマーク単独者と遭遇する。これが転機になりバックカントリー道具を買い漁り、地元スキークラブ入会して基礎スキー学び雪山に通いだす。

60歳を無事迎え、初海外冒険はNZヘリスキーを実行する。南島クイーンズタウンのホテルで単独9日間滞在して三日間ヘリスキーを満喫する。スパー激パウダーに出会えたのは神の恵みと感謝いたします、もう一度チャレンジしたいが体力はないのが悲しい。

61歳、エベレストトレッキングを旅行社ツアーで経験、タンボチェまで到着する。旅行会社任せ計画で展望は素晴らしいが何故か感動は少ない、仲間数人でせめてベースキャンプまで伸ばせばかなり感動したと思う。

62歳 カナディアンロッキー バンフ滞在14日間。現地ガイド秋山裕司と9日間ワプタアイスフィールドを縦走タイプとベースタイプを満喫。吹雪の氷河と快晴の氷河は大感動である。エベレストの反省でもあり、その時先輩からカナディアンロッキーを勧められ計画するが実現までのスートリーを書く。八方尾根「岳栄館」が山スキーと登山のベースになること10年、オヤジに紹介されたのが地元スポーツ店社長、その社長が紹介したのがカナダ人経営「エバーグリーン社」。バックカントリーガイドする会社、私の趣味と同じでカナダ人の指導で山に入りカナデアンロッキーをガイドしてくれる可能性が高いと思い込みに2ヶ月くらい週末に八方尾根とエバーグリーンに通い続けて秋山ガイドの名刺を頂き契約に至る。秋山さんはすぐ来ないと厳しい冬のロッキー山脈が消えると言われるが約束事があり、しばし我慢して単独成田から飛ぶ。

63歳 身体ガタり範囲行動が小さくなる、海外は気力なく無計画。国内で山スキーと登山をぼちぼち。よって不満爆発。

64歳 再度NZへ、二月旅行社ツアー南島ルートバントラックを探索する、まあまあ感動する、もう単独行動は無理と諦めるのだがマウントクック遊覧飛行機で降りた大氷河を滑走する私の姿が夢に現れる。予定外が八月キリマンジャロ登山であります、NZ旅行社のガイドからハガキを頂き「スイッチON」どうも単純頭脳しかない私を発表してしました。登山開始5日目朝6時過ぎ5685mギルマンポイント登頂する、朝日輝くアフリカ大地に大感動する。高山病より飛行機疲労(エコニミークラス症候群かな?)が未だ取れず倦怠感の毎日です。